「生涯を添い遂げるグラス/マグ」をつくる
日本各地の職人たちをご紹介します。
「生涯を添い遂げるグラス」「生涯を添い遂げるマグ」をつくる日本各地の職人たちをご紹介します。
伝統的な職人の技術で丁寧につくられたものを末永く愛してもらいたい。生涯補償を通して職人とお客様の縁をつなぎます。
(たじまがらす)
東京都江戸川区
昭和31年創業、江戸硝子窯元、東京伝統工芸士認定の職人を有する田島硝子。
半世紀以上、様々な硝子食器製造技術を開発・採用し、細足(ステム)グラス・色被せガラス・氷紋(アイスクラック)ガラス・手延ばしガラスなど様々な硝子製品を製造してきました。
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(じょうえつくりすたるがらす)
群馬県利根郡みなかみ町
ガラスを愛するすべての人のために。
上越クリスタル硝子では、絶えずその技術を磨き、時には新しい技法を開発しながら、その時代時代に求められたガラス製品を作り続けてきました。
明治38年創業。群馬県ふるさと伝統工芸品指定。
(とうようささきがらす)
千葉県八千代市
共に明治創業の東洋ガラス株式会社ハウスウエア部門と佐々木硝子株式会社が平成14年に統合したのが、東洋佐々木ガラス。
高熱のガラスの塊を二つとないガラス器に生まれ変わらせる匠の技術と強さと美しさを兼ね備えた独自開発のファインクリスタル組成を使用。
(ほくようがらす)
青森県青森市
「津軽びいどろ」をつくる北洋硝子は、青森県で長い歴史をもつ手仕事のガラス工房。
始まりは1949年、漁業用の浮玉(うきだま)製造からスタートし、その後、浮玉製造で培った技法を用いて、1977年に「津軽びいどろ」が誕生しました。
職人たちは技術開発にも力を注ぎ、美しい色ガラスの調合や、高い技術を要する技法もほぼ独学で習得するなど、常に新しい技へのたゆまない努力を続けています。
(ふかがわがらすこうげい)
北海道小樽市
1906年(明治39年)に東京の深川区にて創業。2003年(平成15年)北海道小樽市に移転した後、広大な敷地と新たな設備のメリットを活かしたデザイン・ガラス生地の製作・加工までを一貫して自社で行う体制を整え、自社設備内で全て対応出来る強みと釜からの廃熱を給湯・暖房(ラジエーター)・ロードヒーティング・融雪に利用したエコシステム。
環境面に配慮した雪や雨の再利用(融雪水循環システム)による成形や研磨・加工など先進的な取り組みを行っています。
100年以上続く伝統を守り、未来へと繋ぎながら探求心を忘れない新しい取り組みとともに、日々の技術に磨きをかけた進化を続けています。
(くまのどう)
宮城県仙台市
江戸時代末期より仙台に伝わる伝統工芸品 仙台箪笥の職人 熊野洞では、榡地・手打ち鉄金具・漆塗の全ての工程を一貫した「手しごと」によって製作し、本物にこだわり続けています。
箪笥製作の技術を生かし、遊び心を加えた漆器も製作しています。
(にっしょうこうぎょう)
静岡県島田市
日翔工業は、スパッタリングに特化する会社として、2010年7月に設立。
宇宙開発で人工衛星にも用いられる三次元形状への表面処理技術で高い評価を得ており、様々な素材に新感覚の装飾やコーティングなどを行っています。
(しょうざんがま わたなべとうぼう)
青森県八戸市
昭山窯 渡辺陶房は、江戸末期まで八戸市内の蟹沢山中で焼かれていた幻の八戸焼の窯跡を昭和50年に奇跡的に発見。出土した陶片を参考に独自の八戸焼をつくり出しました。
青森の大自然に育まれたブナの色、または、三陸の荒波に揉まれた海藻の色とされる独自の緑釉が特徴。
(ならおかとうえん)
秋田県大仙市
秋田県内陸の山村にて江戸時代の末から続く伝統陶器・楢岡焼。
楢岡陶苑では、地元の土から作られるマット鉄釉や飴釉という異なる質感の特徴的な釉薬を活かし、装飾を控えながらも使いやすさと温もり、そして美しさを追求しています。
(しんじょうひがしやまやき やへいがま)
山形県新庄市
新庄東山焼 弥瓶窯では、天保12年開窯以来、新庄戸沢藩御用窯として日常の生活の中で使用できる陶器を製作するという家憲を守り、敷地内の豊富な陶土と、出羽の雪のかげりの色と言われる「なまこ釉」をはじめ種々の家伝の釉薬を用い製作に努力しています。
(ひろせがま)
河北工芸展 宮城県知事賞をはじめ、宮城県芸術祭 宮城県教育長特別賞などの数々の賞の受賞歴のある陶芸家、加藤 晋氏が仙台市西部の広瀬地区近くに構える工房。
京焼窯元・嘉豊陶苑にて12年の修業後、1999年に独立。2003年より、その土地の風土を肌で感じ、手や唇に馴染むこと、奇を衒わず美しいと感じるライン、そして使う方に楽しんでいただけることを心掛けた器類の制作をしています。
(ひろがま)
宮城県亘理郡亘理町
加藤文夫氏と加藤ひろ子氏によって、昭和60年に築窯された宮城県亘理町・末家焼窯元。
末家焼は、約300年前の元禄時代に亘理伊達家が備前から陶工を招いて製作した御庭焼で、今日に至るまで複数回に及ぶ廃窯と再建を経て幻の陶器として語り継がれてきました。
亘理の土は備前の土と似ており、元々は備前焼のように釉薬をかけず高温で焼成した焼締めが特徴の素朴な陶器でした。
現在では末家焼本来の肌合いを活かしながら、四季の草花など「きれい侘び」の意匠を施した器の製作が好評を博しております。
(りゅうもんやき)
福島県大沼郡会津美里町
流紋焼では「”土のもつ自然の心”をできる限り失わずに」との願いを込めて創っています。
特に流しぐすり釉に意をそそぎ、千数百度に熱せられた窯の中でうわぐすり釉が熔けて流れ、種々様々な紋様を描きます。
それは、自然の事物に似て一つとして同じものはありません。一つ一つに豊かな個性があります。
(まつなががま)
福島県西白河郡西郷村
1968年に福島県双葉郡浪江町で創業。300年以上に及ぶ歴史を持つ指定伝統的工芸品「大堀相馬焼」の作陶を手がけており、窯主は3代目 松永和夫氏。
2011年3月11日の東日本大震災によって、浪江町が原発事故で帰宅困難区域に指定されたことで廃業を余儀なくされましたが、2014年から福島県西郷村に拠点を移して再建を果たしました。
ユニークな二重構造や左馬の絵柄といった伝統を継承しつつ、現在も進化を続けている大堀相馬焼。グローバル時代だからこそ、日本のものづくりの魅力があらためて見直されるように「大堀相馬焼を通じて、福島を全国に、世界の人に好きになってもらいたい。」というのが松永氏自信の言葉です。4代目は松永武士氏。
(こうざんがま)
茨城県笠間市
向山窯は”手作り”だからできること、”技術”があるからできること、”組織”だからできること
常に10名を超える陶芸家と5名の伝統工芸士が社内の工房においてそれぞれの個性を発揮して作陶を行いながら、手作りの中で使い手の立場に立ったもの造りに陶芸家が多数在籍し、焼成する窯も大中小と6基を有しながら作成の内容に応じて使用いるため、お客様から数万個単位のご注文があった場合でも、組織力として対応できるため、柔軟に高品質な製品とサービスを提供できる特長を持った窯元です。
(わかさまとうげい)
栃木県芳賀郡益子町
わかさま陶芸は縄文時代と変わらない作業工程を通して、「土」に愛を吹き込むことで自然の息吹を感じる陶器を生み出してきました。
自然の恩恵の中で感じるやわらかさを活かしながら手づくりにこだわって出来上がるこの陶器は、やさしい色合いと柔らかな雰囲気が特徴的で、使い手の持つ手に馴染みながら気分を和ませ癒してくれるとともに、常に自然の温かみを感じさせてくれます。
(しほうとうえん)
岐阜県土岐市
史峰陶苑は、岐阜県土岐市で創業して以来、使いやすさと親しみやすさにこだわり、現在ではマグづくりに特化。
製品ごとに手法を変え工夫することで、高品質のマグを生産しています。
(ひっさんとうえん)
滋賀県甲賀市
日本六古窯・信楽から ─ 品質を支えるのは、1300年続く信楽焼の伝統と職人の技。
信楽焼は「日本六古窯」と呼ばれる日本最古の陶器製造地の一つとして、伝統を守りつつ時代のニーズに合わせた多種多様なやきものを世に送り出してきました。
菱三陶園ではそうした伝統を重んじながらも、現代の技術と感性を取り入れた器づくりに日々励んでいます。
(とうあん)
京都府京都市
大正11年創業、京焼・清水焼窯元の陶あん。
京都の東山泉涌寺で創業して以来、上質の原材料を使い、熟練した職人の手で伝統を受け継ぎつつ、常に技術革新に取り組み、華やかで独創的な器を生み出しています。
(おおくまがま)
兵庫県丹波篠山市
日本六古窯の一つにも数えられ、兵庫県の中東部に位置する丹波篠山市今田町の立杭地域でつくられる丹波焼。
そんな丹波焼の郷の中心部にある大熊窯。現在は親子2代・3名の作家で作陶を行っています。
伝統を継承しつつ、時流に逆らわず。堅実に後世に守り伝えていくため、日々、土と共にゆっくりと素朴で温かみのある焼きものを作陶しています。
(つじよせいとうしょ よざんがま)
佐賀県嬉野市
挑戦し、もの造りを繰り返す。
辻与製陶所は、有田焼の窯元「与山窯」として知られルーツは江戸時代・安政年間。
長い伝統に新しい感覚を調和させた画趣の深さと画題の豊かさが特徴です。
(さんきゅーありた)
佐賀県西松浦郡有田町
佐賀県有田町で作られ、江戸時代から400年以上の歴史をもつ有田焼。
2018年3月9日設立のThree Rivers株式会社は伝統的な有田焼の製造を守りつつ、日本で唯一の特許を取得した技術で製造したコーヒーフィルター「セラフィルター」の製造販売やその独自の技術や現代の新しい技術を生かし、伝統を守りながら今の時代に合う新しい有田焼を目指した製品開発や製造を行っています。
「39Arita」というブランド名に込めたおもい。「39」には、感謝の気持ちである「サンキュー」とは別に、日本古来の吉数である「39」が「縁起のいい数字」であることから、お客様に「無限の幸せが届きますように」という願いとともに400年以上の歴史を持つ有田焼を作り上げた先人陶工に感謝の意を込めています。
(でんさくがま)
1982年、横田伝作が有田町赤坂の地にて開窯。実家であり、今も続く創業80 年の耐火物メーカーで様々な焼き物に触れていくことで現在の伝作窯が出来上がりました。当時ほとんどなかった陶器に上絵付けを施した割烹食器の製造や、1998年には、磁器と陶器を張り合わせる技術を完成させ、「実用新案権(登録第3052748号)」を取得。
伝作窯の伝作とは「伝統とは守っていくものではなく、作っていくものである」という思いからつけられ、「不易流行」の信念のもと、伝統を作っていけるよう日々作陶を行っています。
(しょうほうがま)
長崎県東彼杵郡波佐見町
焼き物の名産地、長崎県波佐見町で生まれ育った福田茂喜氏が、土のブロックから茶碗や皿の形に成形する「生地屋」としてはじめ、その後、伝統工芸士中村平三氏に師事。作陶のノウハウを学び、1989年に翔芳窯を創業。令和元年に、二代目 福田雅樹氏が事業を継承。
創業より一貫して手描きにこだわった絵付けを駆使し、使う人、もらった人が少しでも温かく心が和む時間を過ごせるように想像しながら、全ての工程をひとつひとつ丁寧に作業しています。